絶滅危惧種が支える見えない恵み:生態系サービスと保護の現場
見えない恵みへの眼差し
地球上の生物多様性は、多くの種が絶滅の危機に瀕しているという深刻な状況に直面しています。絶滅危惧種の保護活動は、多くの場合、特定の希少種そのものの保全に焦点が当てられます。しかし、それらの種が属する生態系全体、そしてその生態系が私たち人間に提供する「生態系サービス」という視点も、保護活動においては非常に重要です。
生態系サービスとは、生態系が健全な状態で機能することによって得られる、人間にとって有益な様々な恵みのことを指します。例えば、森林による水源涵養、湿地による水質浄化、昆虫や鳥類による送粉、さらにはレクリエーションや文化的な価値なども生態系サービスに含まれます。絶滅危惧種は、その希少性ゆえに目立ちますが、実は生態系サービスを維持する上で不可欠な役割を担っている場合があります。本稿では、絶滅危惧種と生態系サービスの関連性、そしてその視点を取り入れた保護活動の現場について報告します。
絶滅危惧種が担う多様なサービス
絶滅危惧種を含む多様な生物が、生態系サービスの維持にどのように貢献しているのでしょうか。いくつかの例を挙げます。
- 送粉(Pollination): 植物が繁殖するために花粉を運ぶプロセスです。多くの農作物や野生植物は、昆虫(ミツバチ、チョウ、甲虫など)や鳥類、哺乳類といった動物による送粉に依存しています。特定の送粉者が絶滅の危機に瀕している場合、その植物の繁殖も困難になり、生態系全体の機能低下に繋がります。例えば、特定のラン科植物は特定の昆虫にのみ送粉を依存していることがあります。
- 種子散布(Seed Dispersal): 植物の種子を新しい場所へ運ぶプロセスです。鳥類や哺乳類が果実を食べることで種子を運び、排泄によって散布したり、毛皮に付着させて運んだりします。これにより植物は生育範囲を広げることができ、森林の再生など生態系の維持・回復に貢献します。大型の哺乳類や特定の鳥類など、絶滅危惧種の中には重要な種子散布者である種も存在します。
- 捕食と被食: 食物連鎖における捕食者と被食者の関係は、特定の生物の個体数を調整し、生態系のバランスを保つ上で重要です。頂点捕食者(生態系の食物連鎖の頂点に立つ動物)が減少したり絶滅したりすると、その被食者であった草食動物などが過剰に増え、植生に深刻な影響を与えることがあります。オオカミの再導入が生態系に与えた影響などが良く知られています。
- 水質浄化・土壌形成: 湿地に生息する特定の微生物や植物、あるいは河川に生息する貝類などは、水を浄化する機能を持っています。また、土壌中の微生物や昆虫、ミミズなどは有機物の分解や土壌構造の形成に貢献します。これらの生物多様性が失われることは、水や土壌の質に直接的な影響を与えます。
これらの生態系サービスは、相互に関連しており、ある種の絶滅が連鎖的に他の種や生態系機能に影響を及ぼすことがあります。絶滅危惧種を守ることは、その種だけでなく、その種が担う生態系サービス、ひいては生態系全体の健全性を守ることに繋がるのです。
エコサービスを守る保護活動の現場
生態系サービスの維持を目的とした保護活動は、多岐にわたります。特定の絶滅危惧種に焦点を当てつつも、その生物が依存する、あるいは提供する生態系サービスを考慮した取り組みが進められています。
例えば、ある地域で絶滅の危機にある特定の魚類を保護するプロジェクトでは、単に魚を増やすだけでなく、その魚が生息する河川や湖沼の水質改善、河畔林の保全、そして水生昆虫などの餌となる生物相の回復にも力が入れられています。これは、魚類保護が健全な水辺生態系サービスの維持に直結するという認識に基づいています。良好な水質は、地域の農業用水や生活用水としても利用されており、生態系サービスとしての「水の供給・浄化」を守る活動とも言えます。
また、森林性の絶滅危惧種である鳥類や哺乳類の保護においては、広範囲の森林生態系を健全に保つことが重要視されます。これは、それらの動物が種子散布者として森林の再生に貢献したり、特定の昆虫の個体数を抑制したりするなど、様々な生態系サービスに関わっているからです。保護区の設定や、持続可能な森林管理、地域住民と連携した植樹活動などは、生態系サービスとしての「炭素固定」「土壌保全」「水源涵養」などを維持しつつ、絶滅危惧種の生息環境を改善する取り組みです。
さらに、都市近郊に残された里山や二次林において、特定の希少なチョウやトンボなどの昆虫を保護する活動も行われています。これらの昆虫は送粉者であったり、食物連鎖の下位を支えたりしています。ここでは、単なる種の保護に留まらず、地域の生態系サービスである「生物多様性の保全」「文化的な景観維持」「自然とのふれあいの場」を守る視点が重要になります。市民ボランティアが生息地の草刈りや植栽を手伝うなど、地域社会の参加が不可欠な現場です。
これらの現場では、研究者や保護活動家、行政担当者、そして地域住民が連携し、対象となる絶滅危惧種だけでなく、その生物が関わる生態系全体の構造と機能、そしてそれがもたらす生態系サービスを理解しようと努めています。そして、その理解に基づいて、より効果的かつ持続可能な保護計画を策定し、実行に移しているのです。
保護活動における課題と未来への展望
生態系サービスという視点を保護活動に取り入れることは有効ですが、課題も存在します。生態系サービスを定量的に評価したり、特定の種がどのようなサービスにどれだけ貢献しているかを正確に把握したりすることは容易ではありません。また、短期的な経済的利益を優先する開発などとの間で、生態系サービスの価値が十分に認識されないこともあります。気候変動のような広域的で複合的な脅威は、生態系サービスにも深刻な影響を及ぼし、保護活動をさらに困難にしています。
しかし、生態系サービスという視点を持つことで、絶滅危惧種保護の重要性をより多くの人々に伝えることが可能になります。単に珍しい生物を守るというだけでなく、「自分たちの生活や文化、そして未来世代の恵みを守る活動である」と位置づけることができるからです。
今後、絶滅危惧種保護の現場では、より詳細な生態系サービスの評価技術の開発や、異なる分野(経済学、社会学など)との連携、そして地域社会や企業のさらなる理解と協力を得ることが求められます。絶滅危惧種が担う見えない恵みに光を当て、生態系サービスという視点から保護活動を推進していくことが、生物多様性の損失を食い止め、持続可能な社会を築く鍵となるでしょう。
まとめ
絶滅危惧種は、生態系において重要な役割を果たし、私たち人間が享受する様々な生態系サービスを支えています。送粉者や種子散布者、あるいは食物連鎖の一員として、彼らは生態系の健全な機能を維持するために不可欠な存在です。絶滅危惧種を保護することは、単に一つの種を救うだけでなく、その種が関わる生態系サービスを守り、ひいては私たちの生活基盤や未来世代の恵みを守ることに繋がります。保護の現場では、この生態系サービスの視点を取り入れた、より包括的で地域と連携した取り組みが進められています。生態系サービスへの理解を深め、絶滅危惧種保護の重要性を再認識することが、今後の活動において非常に重要になると言えます。